深夜独語

2007/07/08  美男ではなかつた
 新芽の、花かと見まがふ薄紅色やごく淡い浅緑、そして、頼りなげに蔓の先がふらふらしてゐる一鉢、「ビナンカズラ」の札がついてゐた。美男といふより美女といひたい風情だけれど、光源氏の美貌を褒めるのに、「女にて見たてまつらまほし」なんて言つてゐるから、ま、美男葛といふのも的はずれではないと、手もとにおくことにした。
 けれど、幾年か経つうちに葉つぱはバリツと厚く逞しく、色も、花にも見えたあえかな色はどこへやら、濃いみどりになり、なかにはくすんだ朱色を帯びてゐるのもある。なよなよした美男はどうしちやつたの? これぢや百戦錬磨の強者(つはもの)ぢやない。
 ところが、この強者が可憐な花を咲かせた。幾鉢かに株分けしたその一鉢にそれもたつた三りん、径一センチちよつとくらゐだけれど、けつこう、高い香を放つてゐる。わが家に来て五、六年にして初めての花である。
 よろこんであつちこつちに、この、むかし美男の花を言ひふらしてゐたら、「それ、初雪葛ぢやないの?」といふこゑあり。慌てゝネットや図鑑で調べたら、美男ではなくて初雪でした。やつぱり美男はわが家にふさはしからずか。

 
2007/05/26 日帰り旅ひとりたび
 旅は、一人旅、そして思ひ立つたが吉日とばかり、出かけたいとおもつたら待つたなし、たゞちに出発といふのが理想。さうおもつてゐるのだけれど、浮世の義理やらしがらみやらで、気のおもむくままに、お泊りグツズ入りのバツグを肩にひよいと旅に出る、なんてことにはなかなかならない。
 もう、二十数年前もことである。これぞ究極の理想の旅といふのをやらかした。プラツトフオームに入線して発車を待つてゐる列車に旅心を刺戟され、ふらり乗つてしまつたのである。
 そのころ、東京の世田谷、烏山といふところに住んでゐた。四谷へ行く用があつて新宿の中央線のフオームに行つたところ、反対側に松本行きだつたか、かなり遠くまで行く列車が止まつてゐた。各駅停車の列車である。寝ぼけたやうな紺とクリーム色の車体を見てゐるうちに、うーん、乗りたいな、行けるところまで行つてみたいな。えい、乗つちまへ。
 発車時刻なんて覚えてゐない。といふより、意識の外だつた。お昼前だつたことは確かである。車内でお弁当を食べたから。
 列車は混んでゐなかった。ちやんと窓際の席に座れて、もうわくわく。最初のうちは、窓を過ぎてゆく花の名を「コスモス」「知らない黄色の花」などと、手帳に書きとめたりしてゐたが、元来、こまめに記録をとるなんてこと、不得手な人間である。途中で止めてしまひ、たゞ、外をながめ、車窓からの風に吹かれてゐた。
 鈍行だから、急行をやり過ごすために途中で何度も長い時間、停車する。それさへ嬉しくて、列車を降りてフオームをぷらぷら歩いたり、売店(キオスクなんてわけのわからない呼び名ではなかつた)で、チヨコレートを買ったり。
 どこの駅だつたか、フオームに屋根がない小さな駅だつたが、線路のすぐ際まで森のみどりがあふれてゐて、うぐひす、くわつこう、ほとゝぎす、そのほか、いろんな鳥が鳴きしきつてゐた。フオームのあちこちには草が生えてゐたつけ。
 藤村の詩にあこがれたのがきつかけで、中央線には何度も乗つてゐる。山歩きにもスキーにも中央線のご厄介になることが多かつた。けれど、いつも、どこそこへ行くといふ目的があつた。連れもゐたし、時間の拘束もある旅だつた。こんな氣随氣儘、ふらりと乗り、どこまで行かうがどこで降りようが勝手次第なんて、生まれて初めてのことだつた。
 小淵沢で下りた。なにぶんにもメモひとつ取らなかつたし、記憶もあやふやなのだけれど、新宿から三、四時間くらゐかかつたらうか。
 上りの列車を待つてもどらう。もつと先まで行つてみたいけれど、遠つ走りが過ぎて今日中に帰れなくなつたときのことをかんがへると、些かお財布が軽い。野宿でもよいといふほど、度胸も据はつてゐない。
 プラツトフオームの端から端まで歩いたりして、なかなか来ない上り列車を待つていゐるうちに小海線が来た。大好きな小海線、あに、乗らざるべけんや。
 高原列車のニツクネーム通り、八ツ岳の裾の高原をとことこ行く。この列車もすいてゐた、といふより、ほんの数人しか乗つてゐなかつた。野菜畑や牧場、点在する家々の向うに、八ツ岳の峰々。
 野辺山で降りた。これで長野県に足を踏み入れたことになる。しかも、国鉄で、一番高いところにある駅である。ワーイ。
 と、小諸方向から列車が来た。小淵沢行きである。これに乗らないと野宿の可能性、大である。長野県滞在はわずか数分でとんぼがへりとあひなつた。
 小淵沢では、また、なかなか列車が来なかつた。山菜そばを食べ、網に入つた胡桃を買つたりしてゐるうちに昏れて来た。
 帰りも、窓の外の闇に目を放つてゐた。風が冷たかつた。どこかの山すその闇にぱらりと灯りがちらばつていた。うつくしかつた。どんな営みがそこにあるのだらう。ふつと、なみだが出た。
 吉祥寺だつたとおもふ、京王線に乗り換へてわが家にたどりついた。あやふく午前様になるところだつた。


2007/04/30 
 親戚に不幸があつて数日、家を空けた。
 お葬式で、いつも逃げてしまふのが、死顔に見(まみ)えること。今生の訣れといふ考へ方もあらうし、「逢つてやつてください」などとうながされることもあるが、わたしは失礼にならないやうに、亡き人の足元あたりからお辞儀をして、お顔を見ないでお訣れをする。あちら側に行つてしまつた人の、まさしく「なきから」=亡骸に逢うたとて詮ないといふ氣がする(これが肉親の場合はちがつたけれど)。まして、病み窶れてゐたり、苦しみのあとをとゞめたお顔だつたりした場合、死者も不本意であらうし、わたしもまみゆべきではなかつた、と、しても仕方ない後悔にくちびるを噛んだことも一再ならず、あつた。
 生きてゐたときのあの表情、あの風情を、いつまでも覚えてゐたい。それゆゑ、死者となつてからのお顔を拝さない。今度もそのわがまゝを、ひとに知られぬやう、こつそり、とほさせてもらつた。

 亡くなつたひととわたしに、血のつながりはない。義妹の夫である。けれど、わたしより年が上といふこともあつて、さん附けで名前を呼んでくれてゐた。
 若いころから禅にたいさう心を傾けてゐて、その方面の話を聴かせてもらつたこともあるが、寡黙なひとで、あまり、多くを語らなかつた。彼が、なまなかなことではいたゞけない、血脈(けちみやく)といふ、修行を積んだ証(あかし)のやうなものを授けられてゐたことも、通夜の席で、彼とともに修行に励んだといふ人から聞かされて知つた。
 一族の中には彼を変人視する向きもあつた。たしかにちよつと変つてゐた。純粋過ぎ、優し過ぎ、誠実過ぎた。結果、人づきあひがうまくゆかなかつた。口下手でもあつた。独り居が好きでそれが似合ふひとでもあつた。
 彼の書斎は二階の北の端にあつた。一度、ちらと覗いたきりだけれど、師事した安谷白雲の書と水墨画が懸けてあり、信楽か何か、ざらりとした肌の焦げ茶色のちひさな壺が文机に載つてゐた。文机とその前の座蒲団のほかは書籍で埋まってゐた。
 お酒はたまにしか飲まないやうだつたが、飲むとなかなかお積もりとならぬお酒だつた。けれど、妻や息子に酒の相手を強ひたり、肴に注文をつけることはなかつた。外で飲むことはしないひとで、わたしが知つてゐるのは、家で、独り、黙々と盃を重ねてゐる姿だつた。どうかすると、軒下の犬小屋から犬をかゝへて来て、畳に敷いたバスタオルの上に坐らせ、犬を相手に小声で何か言ひながら盃を口に運んでゐた。犬はきちんとお行儀よく坐り、あるじの話をぢつと聞いてゐる。「太郎、お前も飲め」と、盃を犬の口もとにもつていつたりする。犬は困つたやうにちよつと顔をそむける。が、無理強ひをするあるじではない。
 それとなくこまかな心遣ひをするひとだつた。わたしが泊めてもらふ約束をしたのに、用ができて遅くになつて彼らの家に着いたときのこと、義妹がしまひ湯になつてしまつてと言ひながらすゝめてくれたお風呂、浴槽に切りたての松の小枝が数本、浮かべてあつた。義妹に礼を言ふと「あたしぢやない」。彼の心遣ひだつた。
 一度だけだけれど、このひとで怖い思ひをしたことがある。病人がゐてそのお見舞に行つてゐたときだつた。病室の襖が、いきなり開かれ、彼がづかづかと入つて来た。手に刀をつかんでゐる。「邪気をはらひます。鮎子さん、あぶないから、どいてください」と、わたしを部屋の隅に押しやるなり、刀の鞘を払ひ、「ん、ん、ん」といふかけ声とともに、三、四度、空(くう)を切つた。そして、刀を鞘にをさめ、そのまゝ出て行つた。
 病人はさいはひ睡つてゐたが、あとで見たら、ふとんカバーがひとすぢ、スーッと切れてゐた。
 どんな邪気を感じたのだらう。聞いてみたいと思ふ一方で、聞いてはいけないやうな気もして、たうとう、聞きそびれてしまつた。温厚なひとが、たゞ一度わたしに見せた凄まじさだつた。
 最後に、彼が深い敬愛の情を抱き師事してゐた安谷白雲(彼は「白雲老師」「御老師」と言つてゐた)が、題に「贈****氏」と彼に贈るむねを記した詩を転写して、この小文を閉ぢよう。

  
  神宮佛殿瑞雲平  
  富貴貧窮水送迎  
  不弁雌雄迷悟絶  
  空身爛醉跨驢行 

   神宮佛殿、瑞雲平(たひら)かなり
   富貴(ふつき)貧窮(びんぐう)、水(みづ) 送迎(そうげい)
   雌雄を弁ぜず、迷悟絶す
   空身爛醉(らんすい)、驢(ろ)に跨(またが)つて行く。
                    轉結の二句は大悟却迷の消息を歌ふ。  
2007/04/09  大成駒屋のゐなくなつた日
 雷が鳴り、暗くなつた空から春雨にはほど遠い荒々しい雨が落ちて来た。と思つたら、たちまち日が射して来て、きらきら明るく雨は降り続いてゐる。「狐の嫁入り」か。黒澤明の晩年の作、「夢」といふオムニバス映画の最初は、狐の嫁入りだつた。
 今年は東京近辺では雪の降らぬまゝ冬は過ぎ、春になつた。ところが、数日前、東京はは雪だつた。五分咲きくらゐにはなつていた櫻に雪が降りかゝつて、異常気象をいふ人も多かつたが、めつたに見られぬ見ものでもあつた。
 大成駒――歌右衛門の逝つた日もさうだつた。調べてみたら、もう六年も前になる。
 その年の三月最後の日、わたしは東京駅に近いビルの何階だつたか、高いところにゐた。窓から外を見おろすと、いつもより暗いゆふべのほのあかりに、白々浮かぶ花盛りの櫻に雪が降つてゐた。何だかぞくぞくするやうなうつくしさだつた。
 夜になつて雪は止み、ぬぐつたやうに晴れた夜空に半月が皓々と照りわたつた。外に出てみると、雪を被(かづ)いた櫻がしんと発光し、はなびらとも雪とも知れない光の粒を零してゐた。歌舞伎の舞踊劇「積恋雪関扉(つもるこひ・ゆきのせきのと)」そのまゝの光景だつた。
 目の前の、月にかゞやく花景色雪景色に、かつて観たうつくしくもあやしい舞台――雪景色の真ん中に薄墨櫻がしんと咲きたけ、その櫻の精がふうーつとあらはれる――が重なり、ぼうと見惚れたあの日、あとで知つたことだけれど、この舞踊劇のヒロイン墨染櫻の精を当り役のひとつにしていた、当代の名女形六世中村歌右衛門がしづかにあちら側へ旅立ってゐた――。
 彼女、いや、大成駒を最後に観たのは、「井伊大老」のお静だつた。もう、足がたいさう弱つてゐて、あまり、動きのない役なのに、立つたり坐つたりするとき、文机か何かに手をつくのが痛々しくあはれで悲しかつた。
 この時、直弼を演じたのは吉右衛門、彼の父白鴎が最後につとめたのも、この直弼役だつた。この時もお静は歌右衛門だつた。
 北條秀司作の「井伊大老」は、時間を、桜田門外の変の前夜に限られてゐる。直弼はこのあと、数時間しか生きてゐなかつた。一夜明けて屋敷を出るとき、直弼は花ざかりの櫻と、霏々と降る雪とを見たらう。あるいは兇刃にたふれた時、目に映つたのが雪の櫻、などとかんがへてゐると、雪を被く櫻のもとに泣きくづれる歌右衛門のお静が見えてくる。

2007/03/12 
 不安感に襲はれて、といふと、芥川龍之介みたいだけれど、その不安感とそれによつて生ずる身体の異常に耐へられなくなつて、お医者さんに行つた。お医者さんは不安感をやはらげるといふお薬を処方してくれた。
 効き目?はたちどころにあらはれた、たゞしマイナス方向に。
 よく睡れるのだけれど、目覚めると気味わるいほどぐつしより汗をかいてゐる。両手両足がぞくぞくして指先が冷たい。風邪の初期症状に似てゐるけれど、熱はない。不安感は前よりひどくなり、身体の異常も改善されるどころか、新たに目尻のあたりに銀のギザギザが稲妻のやうに鋭く走つたり、とにかく、ゐても立つてもゐられなくなり、薬を服みはじめて三日後、再び、病院に駆け込んだ。
 「風邪ですかねえ」と、お医者さん。でも、喉ひとつ診るでなし、熱は?とも問ひもしない。神経過敏、もつとのんびりせよ、などとおつしやる。二種類のおくすりのうち、一つをやめてみませうと、言ふことになつて、「はい、おだいじに」。
 帰り、横断歩道橋を渡りながら、ふと、橋の柵がふつう、縦なのに、こゝのは横なのに気づいた。幅五センチくらゐの金属の板にちよこちよこと足を掛けて上がれば、手すりを乗り越えるなど、造作もない……。さう思つてゐる自分に気づいてぞつとした。欄干に目をやらないやうにして歩道橋を渡つた。
 そのとき、死にたいとおもつてゐたわけではない。不安感ににつちもさつちも行かなくなつてゐるときでも、死にたいとは思はなかつた。薬のせゐかしら。
 ふと、インフルエンザの薬、タミフルを服んだ十代の子が、高いところから飛び降りて謎の死を遂げた例が、再々報じられてゐることを思ひ出した。あの子たちを襲つたのは、タミフルの副作用による幻覚か、錯乱であつた、と、思ふ。
 役人や政府は、薬のせゐではないと言ひ張つてゐる。今までの薬害事故も、最初は因果関係は認められないと主張してゆづらなかつた。今度もさう。たぶん、タミフルの場合も、製薬会社からどつさり、政治屋には献金、役人には袖の下が渡されてをり、役人には退職後のポストまで準備されてゐるのだらう。あゝ、いやだいやだ、こんな卑しい臆測をするなんて。こつちも汚れて来ちまつた。
 さて、わたしの服んだ薬、インターネットで調べてみたら、かなり副作用があり、習慣性もある恐いおくすりだつた。でも、あの美男ドクター、そんなこと、全然、言はなかつたぞ。
 副作用はあつといふ間にあらはれたが、服むのをやめても、もとにもどるのに一週間くらゐかゝつたし、へんな倦怠感は依然として残つてゐる。
わけのわからぬ不安感は、間歇泉の如く、襲つてくる。でも、もうおくすりには懲りた。ぢつとやり過ごすしかない。
 と、かう、書けるのはけつこういい状態。今日はちよつとしやれた半襟を買ひました。


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