2007/02/24 湖上の月
物語にはしづかなる一夜ありて源氏が湖上の 月を見てゐる
稀にうたが向うから来てくれることがある。ふつと頭に浮かび、初句から結句まで、できあがつてゐる。このうたもその一首である。 べつに『源氏物語』を読んでゐたり、光源氏のことをおもつてゐたわけでもない。言へば、ごちやごちや、くだらぬこと、つまらぬことに心を乱されて、こゝのところ、わたしには「しづかなる一夜」がないといふことだらうか。 しかし、『源氏物語』に、源氏が湖上の月を見る場面があつたらうか。思ひ浮かばない。
須磨にはいとゞ心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平の中納言の、関吹き越ゆると言ひけん浦波、夜夜(よるよる)はげにいと近くて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。
紫式部は琵琶湖畔の石山寺から月にかゞやく湖面を見て想を起し、『源氏物語』の「須磨」のこの一節を書いた、あの長篇小説はこのくだりから書き始められたという伝説がある。 さうしたことも、どこかで影響して、源氏が湖上の月を見てゐることになつたのかも知れない。
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