深夜独語

2006/12/11  薄氷
 薄氷の上をのんきに歩いてゐたのだな、と、今さらながらおもふ。
 病室の窓の外はクリスマスのイルミネーション。「きれいね」とながめてゐるけれど、もうちよつとで、相棒はあつち側に行つちまふか、脳にダメージを受けて、可哀さうなことになるところだつた。
 薄氷はミシッと音を立てたけれど、割れなかつた。ありがたう。
 足の下は薄氷、板子一枚下は地獄といふことを、いつか忘れてゐた。
 わたしも極楽とんぼ、ノーテンキ。

2006/12/06  珍事出来(しゆつたい)

 やつと十日経つた。
 相棒がビルの階段から転げ落ち、病院にかつぎこまれた。二十五日の午後のことである。
 眉の上のあたりの骨が折れ(これも立派な頭蓋骨骨折です)、右手、左足の骨も折れた。オデコ、右耳、右目で階段を降りてしまつたらしく、みごとに紫色に腫れあがり、オデコは幾針か縫つてもらつた。頸骨の靱帯も切れてゐるといふ。まさに満身創痍、手と足の手術は四時間に及んだ。
 かうなると、お医者さん、あつちこつちの擦過傷や、ちよつとした切り傷なんか、怪我のうちに入れないらしい。そのまま放つておかれたが、ちやんとカサブタができてゐる。
 不幸中のさいはひは脳が損傷を受けなかったこと、転落したとき、人にぶつつかつたりして怪我人を作らなかつたこと。つくづく、よかつたとおもふ。守つてくれた存在がある、そんな気さへする。

 薄紙を剥ぐやうにといふけれど、ときには厚紙を剥ぐいきほひで恢復に向つてゐる。
 かういふとき、よくいへば明るくて前向き志向、ほんたうのところは、ノーテンキ、極楽とんぼニンゲンは、治りが早いのかも知れない。
 もしかすると握力が五十パーセントくらゐに落ちるかもしれませんとドクターに言はれてもヘイチャラ、「なーに、七、八十パーセントくらゐまで戻るさ」。指の機能回復に「結んで開いて」をするやうに言はれて、ヘッドフォンでサルサなんか聴きながら、そのリズムに合はせて指の運動。腕も動かすといいですよと言はれると、モオツアルトのCDを聴きながら指揮者の真似。
 目はまだ腫れてゐるし、眼鏡はみごとにゆがんでしまつてゐるので、読むことはあまりできないので、わたしが新聞などを音読するのだけれど、
途中で異論を開陳するやら、怒り出すやら。「うるさい。ヤジ飛ばすと、もう読んであげない」。
 今日、オデコの包帯がとれた。傷跡がゲジゲジ風。「あーあ、いい男がだいなしぢやない。でも、ヤクザと渡り合ふときなんか利くかもしれない。『この傷が目に入(へえ)らねえかア』」と、かまつてやつた。

 毎日新聞の牧太郎氏のひそみにならつて「ここだけの話」、疲れてきました。けが人やお見舞ひに来てくださる方の前では、わたしは役者、元気に明るくやつてゐますが、けつこう、たいへん。
 ゆふべは、締切をのばしてもらつた原稿を書きあげるのに、しらしら明けまでかかつてしまひました。


2006/11/19  忠臣蔵と浮世絵と
 「忠臣蔵」といつたら、冬のもの、何しろ、雪を蹴散らしての吉良邸討入りだもの。
 ところが、ま、秋でせうね、この九月から今月にかけて、東京は「忠臣蔵」ラッシュ。
 最初は九月に三宅坂の国立劇場の小ホール(存じあげてゐるさるご老人は「ちひさい方の小屋」とおつしやる)で、文楽による「仮名手本忠臣蔵」の通し上演があつた。午前、午後、夜の三部制で、これを一日で観ると、間に休憩時間はあるけれど、朝九時半から夜九時過ぎまで、芝居小屋の中にゐることになる。ちよいときついとおもつたけれど、三回通ふ時間を惜しんで、「エイヤッ」と気合を入れて、一日で、大序の「鶴ヶ岡兜改めの段」から十一段目「花水橋引揚の段」まで、しつかり観た。
 玉男が元気だつたら遣つたはずの大星由良助を、簑助が遣ひ、簑助がつとめるはずのおかるを勘十郎がやつてゐた。それはそれで新鮮だつたけれど、玉男のゐない舞台は、をりをり、さびしい風が吹いた。このときは、まだ玉男はこの世に在つたのだけれど。
 その次は、これも国立藝場だけれど大劇場で、真山青果の「元禄忠臣蔵」の通し。こちらは十、十一、十二の三月にわたつての上演である。内蔵助を、十月は吉右衛門、十一月は藤十郎、十二月は幸四郎がつとめる。青実のせりふ劇を、三人の内蔵助がどう演ずるか。
 十月は五日目くらいだつたか、月はじめに観に行つたのが失敗だつた。せりふがちやんと入つてなくて、プロンプター頼りといふ役者が幾人かゐるものだから、舞台がスカスカ。
 かつて音吐朗々とこの役を演つてゐた俳優が……とおもふと、かなしくなる。

  プロンプターに助けられゐる老優をあはれと
  おもふ おもひてさびし

 懲りて今月は二十二日にきつぷを取つた。歌右衛門なき今、一番の女形とおもつてゐる秀太郎が浮橋大夫! 今からたのしみ。
 今月は、江戸博物館の「江戸の誘惑」を見に行かなくちや。ボストン美術館所蔵の肉筆浮世絵が展示されてゐる。見逃したらたいへん。
 
 
 
 
2006/10/14 ごめんなさい
 この「あゆのふばこ」を読んでくださる方からお叱言をいたゞいてしまつた。
 書き手が怠けがちなところへもつてきて、更新記録が示されてない。かてゝ加へて文章の表示スペースが狭くて、長い文章のとき、とても読みにくゝて疲れる等々。
 これらは書き手のわたしも痛感してゐたところで、しまっつたとおもつてゐる。
 どうにかしなくてはなるまい。とはいふものゝ、器械オンチ、ひとりでいぢくるのは、どうも怖い。
 器械のセンセイに助けてもらはぬことには、今までの記録、消えちやつたなんてことになりかねない。当分は、「深夜獨語」だけで、やってゆかうかしらん。
 読んでくださつた方々、ごめんなさい。
 
2006/09/24 思想・良心の自由(憲法第十九條)
 思想・良心の自由(憲法第十九條) 
 東京都立の学校では入学式や卒業式などで日の丸の旗におじぎをし、君が代をうたへといふ東京都の通達、あれは思想の自由侵害に当るといふ判決が出た。いゝぞいゝぞ、東京地方裁判所。かう来なくては、「痴呆裁判所」になつちまふ。
 総理大臣が、とある神社――戦死者(空襲で死んだ人は含まれない)をカミサマにしておまつりすることになつてゐるが、こともあらうに、戦争に国を引きずり込み、とんでもない大勢のといふふより、大量の死者を出した、その責任者もカミサマにして紛れ込ませてある――にお参りして、あっちこっちから批判されたとき、これは心の問題、他者からどうかう言はれる筋合ひのものではないと言つてたね。ジュンちやん、何度も言つてたね。
 だつたら、一市民が日の丸におじきをしないのも「君が代」をうたはないも、まさに「心の問題」でせうが。
 東京都教育委員会は、何を血迷つてゐるやら。内閣総理大臣はOKで、一般市民はだめだなんて、「ソリャ聞えませぬ、伝兵衛さん」である。
 いづれ、都側は控訴するでせう。高裁、最高裁と上級(この「上級」は、必ずしも質がよいとか、レベルが高いといつた意味を持つものではない。場合によつては、とんでもなく偏屈だつたり、時代錯誤を露呈することもある)にゆくほど、偏屈度、時代錯誤度はひどくなる傾向がある。ことに思想問題のほか、戦争責任、公害など、国の責任を問ふものについてはさう。地方裁判所で勝つたからつて油断はならない。
 ジュンちやんの後釜に決つたシンちやん、決る前だけれど、ジュンちやんがおまゐりした神社にこつそり、おまゐりしたとやら。なんだか、人に知られたくない女性のところへしのんで行つたみたいでをかしい、なんて、笑つちやゐられない。今後への布石ださうな。総理になる前からおまゐりしてた→ 戦死者に敬虔なる祈りを捧げてきた→ 若者たちよ、国を守れ、守つて戦死したらここにおまつりしてやる。おゝ怖(こは)。お祖父ちやんも、そんなこと言つてたんぢやない。ほら、ヤスクニのカミサマになり損ねたあのお祖父ちやん。
 ジュンちやんはモーニング着たり、紋付き羽織袴で行つたりしたけれど(ジュンちやんの着せ替へ人形? クールビスつてのもあつたつけ)、シンちやんはどんなファッションでこつそりお出かけしたのかな。豆絞りの手ぬぐひで頬かぶり? まさか。

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